囲碁でYouTube始めました。
囲碁 碁会所5段から6段になるまで(野狐3段~5段になる迄)
前の記事の続きで、私が中学3年生ぐらいまでの軌跡を記事にしました。
高校1年生から社会人ぐらいまでの棋力はどうなったかを書いていきます。
高校1年生から高校3年生までは結構、碁に取り組む時間もあったと思います。
高校生生活は、運動部にも所属しており、運動部の練習しながら囲碁をしていました。
学校の勉強はあんまり勉強していなかった記憶があります(笑)テスト期間前だけ勉強したような感じです(;'∀')
相変わらず、詰碁の本を1冊も読み切らずに、色々な本から無作為に問題を解く。一回解いて、3~4割読んだら違う詰碁本へ・・・といった感じで読んでいました。
他の碁の分野の本もそんな感じです。
あまり身に付くはずはないですよね(;^_^A
「玄玄碁経」だけは違いました。どこから仕入れた知識なのか分かりませんが、プロの卵も読んでいるというのを聞き、熱心に繰り返し読んでいたのを思い出します。
半分読んだら、最初からやり直して読むといった感じです。
結局全て読破出来ませんでしたが💦隅の部の難解編と辺の部の難解編が難しくて挫折した問題が多数ありました。
分からなくても、ひたすら問題を眺めて、気合で解いてやろうというスタイルでやっていたので、なかなか読み進みませんでした・・・。
他に印象に残った本は、高校2~3年生の時に読んだ本で、著書:橋本宇太郎九段の「風と刻」下巻。この本は、ジュンク堂に売っていて、高校生の私でも高いと思いながら買った覚えがあります。その時は2300円でしたが、今は希少な本で中古本でも価格が高騰しています。全巻意地でも購入しておけばよかった・・・。
その本を読んでいましたが、1問目から難しく感じ、1問なんとか解きましたが、負荷が凄すぎて、挫折しました。寝る前など読むと睡眠薬で、すぐに眠りにつくことが出来ました(笑)しかし、感動した筋などもありました。
宇太郎先生すげぇ!!って感じ、橋本宇太郎ファンになったのは言うまでもありません。
その他にも、著書:橋本宇太郎 囲碁双書「詰碁・奥の細道 」「詰碁・五十三次」「詰碁・中仙道」を読みました。一回だけ8割ぐらいは読んで終了しましたが、どの問題も易しめで読みやすく感じました。
高校には囲碁部が無かったので、先生に高校代表として、大会とかに出れないか?と聞いた所、囲碁部が無くても、個人で高校の代表として出場出来ると知り、高校一年生の秋から初めて高校の大会に出させて頂くようになりました。
秋の第一回高校大会(小さな田舎の高校大会です)で見事優勝する事が出来て、引率の先生を驚かした記憶があります。
変に天狗になってしまったのは反省点です(*_*;・・・。今思うと、弱いのに💦今の野狐1~2段程度だったかと思われます。
そこから定期的に主要な高校大会があれば、案内が来るようになり、積極的に参加していました。(今思うと運動部がそこまで強くなくて、自由が利く運動部で良かったと思います。)
2回目から出場した大会で、私にとったらライバル!と思っていた人に出会います。違う高専の人で、5段ぐらいの実力で打っていました。実際、対局しましたが、負けてしまいました。。。高校生活で結局ずっと、負け続けて、勝てることはありませんでした。
でも、明らかにこれは俗筋だなというのが毎回対局していてあり、そこを咎めようとしたら、いつも力でねじ伏せられて負けるといった感じの碁が多かったです。
高校2年生で、これでは負けると思い、何か勝てる策はないか?と考えて図書館で出会った本が、著書:羽根泰正 NHK囲碁シリーズ「羽根泰正の中国流で勝つ」という本です。
これは高中国流布石で、相手に自分の強い領域に入らせて、勝つ戦略解説本です。
この本を何度も読んで、並べることで、結構な勝ち星を貰うことが出来ました。
やはり、碁会所で教えて貰っていた強い師匠に「攻めろ!攻める事を考えろ」という事を口酸っぱく言われていたので、攻める事は常に第一候補として考えにありました。なので、この本がしっくりとなじんだ記憶があります。
(しかし、ライバルと思っている子には勝てませんでしたが^^;)
今でも良い思い出です。
ある時、高校の大きめの大会で、羽根泰正9段が審判で、負けた碁を見に来て下さり、少しだけ検討してくれたのを思い出します。その時に先生の棋書を読んでいますと伝えると嬉しそうに、「・・・なかなか勉強熱心で、素晴らしい」と褒めてくれたのを覚えています^^
しかし、薄々、「弱いけど」というニュアンスも溢れていたのを感じてはいました(笑)
高校2、3年生の時は、高文際の全国大会に行けたのは良い思い出でした。
しかし、私が狙っていたのは、予選を勝ち抜いて、
全国高校囲碁選手権大会全国大会
に出場する事でしたが、予選の大会で敗退して、全国大会に行けなく、悔しい思いをした覚えがあります( ;∀;)
高文際の全国大会もとても貴重な体験でしたが、全国高校囲碁選手権大会は憧れの大会でありました。。
そんな感じで高校1年生~高校3年生を過ごしました。
ネット碁、碁会所で対局をして、詰碁の本などを中途半端に読んで強くなった感じです。
高校3年生の頃には、碁会所で教えて貰っていた、6段格の先生を倒してしまいました。。今の野狐3段クラスぐらいでしょうか。
「君に教えることはもう無い」と言われたのは、嬉しくもあり、悲しくもありました。
高校3年生の頃には野狐3段~4段では打ててたんじゃないかなと思います。
そんな感じで高校生活を過ごしました。
19歳になって、高校を卒業して、また学校に入学しました。
この時は学校の勉強をしっかりしながら、囲碁も時々打つといった感じになります。
学校生活で忙しく、囲碁から少しづつ離れていきました。しかし、対局はたまにしたり、囲碁の本を読んだりはしていました。
学校を卒業して、社会人になり、更に囲碁を打たなくなりました。会社にしがみついて、認められるのに必死で仕事しました。
そのふとした合間に、囲碁は細々と続けていました。。
仕事も慣れて、囲碁を再開したのは27歳ぐらいの時。この時、野狐囲碁が流行っており、打ち続けると野狐5段まで昇段しました。棋力は野狐4~5段クラスになっている事が分かりました。
そこからは、細々続けていた囲碁を、熱心に囲碁をし出したという経緯があります。
ここからは現在進行形で記事を書いていきたいと思います!
学生の頃の反省点は、もっと囲碁の勉強頑張れたんじゃね?という事に尽きます。
また、囲碁の本で詰碁本など、どれか一つに絞って、その本を徹底的に読めば良かったという後悔が残りました。
「玄玄碁経」をせめて読み込んでおけば、また変わっていたと思います( ;∀;)
しかし、今気づいて、囲碁が出来ていることに感謝です!!!!
囲碁 3段〜4段まで
碁会所3段〜4段になる迄は主に何をしたのか?
と言いますと、碁会所3段になったのは中学3年生でした。
関西こども囲碁大会の3段の部で準優勝して、3段の認定を受けたりしていました。(今も決勝戦の棋譜があるので並べて見ましたが、ひどいもんです。ネット碁の野狐のレベルで言えば……野狐初段?レベルではと思います。機会を見つけて、過去の棋譜も解説出来たらと思っています。)
ここからは自分なりに色々本をかじって読んだりしていましたが、今思うと読んでるようで、本気で読んでいなかったと思います。
気合い入れて読んだ本は、苑田勇一 九段著書の「苑田勇一流 基本戦略」や「大模様はこうして勝て」
という本を読みました。
この本がこの当時、レベルが高すぎて、眠くて眠くて仕方なかった記憶があります(笑)
今思うと眠くなる本はどうだったのか?と思いますが、真剣に自分の中に取り込んで強くなってやろうという意気込みがあったので、
それは本当に当時の自分に褒めてあげたいと思います。眠かったけど、真剣に取り組んだので、読んで学ぶ事もありました。
その本で学んだ技を部分的に試していたり(星にコゲイマガカリして来た石に上つけして、ハネてきたら切る手法で大模様張ったり)
「アマでも身に付くプロの常識」や「プロ・アマ三子局 アマ勝局集Ⅰ」や「プロ対プロ置碁実戦譜 上巻」という本を読んで、置き碁の勉強に比重が偏っていたかと思います。その当時3子局が多かったので。
著書:橋本宇太郎 山海堂の「玄玄碁経」を読もうとして、途中まではしっかり読みましたが、難しすぎて挫折はしましたが、身にはなったと思ってます。
野狐6段となった今、「大模様はこうして勝て」という本をもう一度読んでみたいと思いました。どれぐらい理解できるか?どんな事が書いてあったのか思い出してみたいとも、この記事を書いて思いました(^^♪
あとは、つまみぐいをしたり、雑誌の付録を読んで読みを鍛えたりしましたが…ちゃんと読んだ本が少なかったなと思います…。
とにかく実戦を打ちましたが、上手から検討してもらう機会があまりなかったように思います。
棋譜を全手順記録して、自分で並べ直して何が悪かったのかを何となく考えたりもしましたが、ふんわりで結論が出ずに並べ終わっていました。
とある時、碁会所に元院生だったけど、プロになれなかったおじいちゃんが来ました。
私としては沢山打って貰いたい!と思っていたのですが、指導碁1局500円をその方に支払う事になっていたので、中学生にとったら大金なのであまり指導碁をお願い出来ませんでした💦
実戦でしらみ潰しに読んでいくのと、玄玄碁経、
ネット碁、毎日では無いけど、上手との指導碁でネット棋院4段にはなりました。(ネット棋院は昔、酒井猛9段が主催していたネット碁会所。今はありません。)
まとめとして、置き碁の勉強は最低限の知識は必要かと思いますが、応用範囲が置き碁限定になるのであまりお勧めできません。以下に伝える3つを勉強することが大事かと思います↓↓↓
①互先で敵に勝てる布石を研究して、黒番ならこの布石、白番ならこの布石と決めて研究すること。
②常に、先手で立ち回れるように考えて打つこと。
③石の強弱関係に敏感になり、強弱を考えながら打つこと。
以上の3つを野狐4段~5段の時に、常に考えるようにしたら野狐6段まで行きました。この考えは級位者から使えるのでオススメです。
囲碁 有段時代 2段~3段位まで
囲碁 有段時代 2段~3段位までは
何をして強くなったのか?を書いていきたいと思います。
相変わらず3つの碁会所を行き来して(級位者時代参照)
碁会所ライフを楽しんでいました。
2段位になった時に、「本当にこれ以上強くなれるのだろうか?」という見えない壁を感じました。この時中学2年ぐらいでした。
また、地元で一番レベルの高い碁会所にいる、アマ6段の
先生に「君は悪手ばかり打つねぇ、弱気な手ばかりだ!」
と指摘されました。
「もっと攻めなさい!攻める事を考えなさい!攻めは最大
の防御なり」と口酸っぱく言われました。
いつもその碁会所に行くと、先生がずっと隣で私の碁を
見てくださり、変な手を打つと指摘してくださいました。
(これが圧力にもなっていましたが・・・)
注意されるもんだから、頭の中でずっと
「攻めろ、攻めろ・・・」と考えていました。
でも、どこに打ったら分からないから、しらみつぶしに
読みまくり・・・安易に打ったら先生の指摘が飛んでくる
ので、結局長考してしまう事になってしまいました。
また、長考が癖になってしまう要因でもありました。
今思うと、その当時「攻め」という意味をはき違えて、
攻めまくって(追いかけまくって)石を取るという
直線的な打ち方ばかりしていました。
確かに、弱気な手は注意する前と比べると減りましたが、
今思うと無理気味な手が多くなったという感じでした。
それでも、その考えで碁会所3段まではヨレヨレと少しづつ上がって行きました。
また、2~3段の時に、考え方の本で非常に勉強になった本があります。
有段をめざす囲碁口座ー足を引っ張る三つの大罪
著者:額 謙
という本です。
この本は考え方が非常に分かりやすく書いてくれています。打ち方の指針になりました。
それでも、癖づいていなかったので、20%ぐらいしか取り入れれませんでしたが(;'∀')
正しい考え方を定着させるのは、何度もトライ&エラーを繰り返さないと難しいですね。
また、こういう変化で打ってきたらどう対処するの?というのが紙面上書いてないことが棋書全般で多いので、それも要因の一つですね。
額 謙 先生の本で
有段をめざす二つのポイントー前に打った石を働かせるコツ
という本もあるのですが、こちらもお勧めですので是非読んでください。
2つの本をもっと早めに読んでいれば良かったと、その当時後悔したぐらいです。
その当時、棋力向上の20~30%は役に立ったと思います。
もう一つ意識してやっていたことは、その日に打った碁を本気で覚えて、家に帰って棋譜を碁罫紙に全手順書き込むという事を意識してやっていました。
(級位者の頃から始めていました)
碁会所で打ちながら、書こうものなら、ただでさえ長考して相手に嫌がられていたので、家で棋譜を取っていました。
囲碁が大好きで、面白いから、この作業は苦ではありませんでした。
最初のころは数十手しか覚えれませんでしたが、3段ぐらいの頃は
全手順正確に4~5局分は記録出来るようになっていました。
長考しているので、昼から碁会所に行ったとしても、
4局~5局ぐらいしか打てませんでした。
(ほとんど4局だったかな)
後は家でインターネットが繋がるようになり、家のパソコンでネット碁を打つようになりました。当時は酒井猛九段主催の「ネット棋院」というサイトで打ち始めました。
この時初めて、適正段位に近い段位が分かりました。
ネット棋院1級という事が判明しました(笑)
ネット棋院は人が少なかったのでだいたい同じ人とあたるのであまり適正では無かったと思います。違う段位の人と当たると置き石でレーティング戦したり…。
野狐と比べると、1子〜2子甘い感じ。
それでも、ネットで対局する事を増やす事で、ある程度は棋力も上がって行きました。
以上が2段~3段位まで強くなった記事でした。
囲碁 初段になるまで
私が囲碁初段になるまでに、1年の間で達成することができました。
(小学生6年から始めた割には遅い成長です…)
「囲碁 級位者時代」にも上達したコツを書いていますので、ぜひ読んでみてください。
もう少し付け加えると、碁会所1級から碁会所初段のレベルに達するのに少し足踏みした記憶があります。
いつも碁会所に来ていたNさん(1級)と打たせていただいていたのですが、あともう少しという所で負けてしまっていました。
おいしい羊羹をくれて、楽しく対局出来た記憶があります。(あの時はありがとうございました。感謝)
読みの訓練は相変わらず「囲碁 級位者時代」に紹介した書籍をメインを読んでおり(つまみ食い程度に違う書籍も読んでいましたが・・・)
何が壁を突破したのか?というと、メイン本での読みの訓練と純粋に対局数を増やして、何がダメだったのかを検討していたからだと思います。
ヨセのこういう所がダメだったよと言われたら、純粋に覚える。次の対局も何がダメだったのかを、対局相手に聞いて改める。
この繰り返しで、碁会所初段を名乗れるようになりました。
碁会所の壁に各段位ごとに、名前入りの木札が掛けられており、初段の枠に私の名札が
掛けられたときはとても嬉しかったのを覚えています。
ただ当時通ってた碁会所のレベルは、今の私から見れば低めだったと思います。
ネット碁が打てる「野狐囲碁」というサイトの棋力でいえば・・・・・
野狐3級ぐらいだったんじゃないかと思います。
続きの記事はまた次回(^^♪