囲碁で県代表を目指す。

私が初心者の頃からどのようにして6段まで強くなったのか? という囲碁情報を書いたり、6段から県代表クラスになる為の成長記録です。

囲碁 碁会所5段から6段になるまで(野狐3段~5段になる迄)

前の記事の続きで、私が中学3年生ぐらいまでの軌跡を記事にしました。

 

高校1年生から社会人ぐらいまでの棋力はどうなったかを書いていきます。

 

高校1年生から高校3年生までは結構、碁に取り組む時間もあったと思います。

 

高校生生活は、運動部にも所属しており、運動部の練習しながら囲碁をしていました。

 

学校の勉強はあんまり勉強していなかった記憶があります(笑)テスト期間前だけ勉強したような感じです(;'∀')

 

相変わらず、詰碁の本を1冊も読み切らずに、色々な本から無作為に問題を解く。一回解いて、3~4割読んだら違う詰碁本へ・・・といった感じで読んでいました。

他の碁の分野の本もそんな感じです。

 

あまり身に付くはずはないですよね(;^_^A

 

 「玄玄碁経」だけは違いました。どこから仕入れた知識なのか分かりませんが、プロの卵も読んでいるというのを聞き、熱心に繰り返し読んでいたのを思い出します。

半分読んだら、最初からやり直して読むといった感じです。

 

結局全て読破出来ませんでしたが💦隅の部の難解編と辺の部の難解編が難しくて挫折した問題が多数ありました。

 

分からなくても、ひたすら問題を眺めて、気合で解いてやろうというスタイルでやっていたので、なかなか読み進みませんでした・・・。

 

他に印象に残った本は、高校2~3年生の時に読んだ本で、著書:橋本宇太郎九段の「風と刻」下巻。この本は、ジュンク堂に売っていて、高校生の私でも高いと思いながら買った覚えがあります。その時は2300円でしたが、今は希少な本で中古本でも価格が高騰しています。全巻意地でも購入しておけばよかった・・・。

 

その本を読んでいましたが、1問目から難しく感じ、1問なんとか解きましたが、負荷が凄すぎて、挫折しました。寝る前など読むと睡眠薬で、すぐに眠りにつくことが出来ました(笑)しかし、感動した筋などもありました。

 

宇太郎先生すげぇ!!って感じ、橋本宇太郎ファンになったのは言うまでもありません。

 

その他にも、著書:橋本宇太郎 囲碁双書「詰碁・奥の細道 」「詰碁・五十三次」「詰碁・中仙道」を読みました。一回だけ8割ぐらいは読んで終了しましたが、どの問題も易しめで読みやすく感じました。

 

 

高校には囲碁部が無かったので、先生に高校代表として、大会とかに出れないか?と聞いた所、囲碁部が無くても、個人で高校の代表として出場出来ると知り、高校一年生の秋から初めて高校の大会に出させて頂くようになりました。

 

秋の第一回高校大会(小さな田舎の高校大会です)で見事優勝する事が出来て、引率の先生を驚かした記憶があります。

 

変に天狗になってしまったのは反省点です(*_*;・・・。今思うと、弱いのに💦今の野狐1~2段程度だったかと思われます。

 

そこから定期的に主要な高校大会があれば、案内が来るようになり、積極的に参加していました。(今思うと運動部がそこまで強くなくて、自由が利く運動部で良かったと思います。)

 

2回目から出場した大会で、私にとったらライバル!と思っていた人に出会います。違う高専の人で、5段ぐらいの実力で打っていました。実際、対局しましたが、負けてしまいました。。。高校生活で結局ずっと、負け続けて、勝てることはありませんでした。

でも、明らかにこれは俗筋だなというのが毎回対局していてあり、そこを咎めようとしたら、いつも力でねじ伏せられて負けるといった感じの碁が多かったです。

 

高校2年生で、これでは負けると思い、何か勝てる策はないか?と考えて図書館で出会った本が、著書:羽根泰正 NHK囲碁シリーズ「羽根泰正の中国流で勝つ」という本です。

これは高中国流布石で、相手に自分の強い領域に入らせて、勝つ戦略解説本です。

この本を何度も読んで、並べることで、結構な勝ち星を貰うことが出来ました。

 

やはり、碁会所で教えて貰っていた強い師匠に「攻めろ!攻める事を考えろ」という事を口酸っぱく言われていたので、攻める事は常に第一候補として考えにありました。なので、この本がしっくりとなじんだ記憶があります。

(しかし、ライバルと思っている子には勝てませんでしたが^^;)

 

今でも良い思い出です。

 

ある時、高校の大きめの大会で、羽根泰正9段が審判で、負けた碁を見に来て下さり、少しだけ検討してくれたのを思い出します。その時に先生の棋書を読んでいますと伝えると嬉しそうに、「・・・なかなか勉強熱心で、素晴らしい」と褒めてくれたのを覚えています^^

しかし、薄々、「弱いけど」というニュアンスも溢れていたのを感じてはいました(笑)

 

高校2、3年生の時は、高文際の全国大会に行けたのは良い思い出でした。

 

しかし、私が狙っていたのは、予選を勝ち抜いて、

全国高校囲碁選手権大会全国大会

に出場する事でしたが、予選の大会で敗退して、全国大会に行けなく、悔しい思いをした覚えがあります( ;∀;)

 

高文際の全国大会もとても貴重な体験でしたが、全国高校囲碁選手権大会は憧れの大会でありました。。

 

そんな感じで高校1年生~高校3年生を過ごしました。

 

ネット碁、碁会所で対局をして、詰碁の本などを中途半端に読んで強くなった感じです。

 

高校3年生の頃には、碁会所で教えて貰っていた、6段格の先生を倒してしまいました。。今の野狐3段クラスぐらいでしょうか。

 

「君に教えることはもう無い」と言われたのは、嬉しくもあり、悲しくもありました。

 

高校3年生の頃には野狐3段~4段では打ててたんじゃないかなと思います。

 

そんな感じで高校生活を過ごしました。

 

19歳になって、高校を卒業して、また学校に入学しました。

この時は学校の勉強をしっかりしながら、囲碁も時々打つといった感じになります。

 

学校生活で忙しく、囲碁から少しづつ離れていきました。しかし、対局はたまにしたり、囲碁の本を読んだりはしていました。

 

学校を卒業して、社会人になり、更に囲碁を打たなくなりました。会社にしがみついて、認められるのに必死で仕事しました。

そのふとした合間に、囲碁は細々と続けていました。。

仕事も慣れて、囲碁を再開したのは27歳ぐらいの時。この時、野狐囲碁が流行っており、打ち続けると野狐5段まで昇段しました。棋力は野狐4~5段クラスになっている事が分かりました。

 

 そこからは、細々続けていた囲碁を、熱心に囲碁をし出したという経緯があります。

 

ここからは現在進行形で記事を書いていきたいと思います!

 

学生の頃の反省点は、もっと囲碁の勉強頑張れたんじゃね?という事に尽きます。

また、囲碁の本で詰碁本など、どれか一つに絞って、その本を徹底的に読めば良かったという後悔が残りました。

 

「玄玄碁経」をせめて読み込んでおけば、また変わっていたと思います( ;∀;)

しかし、今気づいて、囲碁が出来ていることに感謝です!!!!